2010年度 組合活動方針
2010年度の定期大会にて、以下の活動方針が採択されました。
<「官僚制化」の波から「大学人の共和国」を守る>
日本の大学を取り巻く環境は、まさに末期的である。大学とは本来、自由な個々人が常識に挑戦し、知的に切磋琢磨する「大学人の共和国」(Gelehrtenrepublik)である。個々の研究者には、もちろん研究・教育上の実績を上げる義務があるが、一つの目的のために組織の歯車となるわけではない。自由闊達な知的共同体としての大学が維持されるためには、教員には研究・教育に専念できる職場環境が必要であり、学生には勉学に専念できる経済的・時間的基盤が必要である。また研究・教育が円滑に進むためには、教職員相互の敬意と信頼に根差した事務的支援体制が必要となる。けれども昨今の日本社会は、経済情勢の悪化、少子高齢化、公的財政の悪化などに伴って余裕を失い、大学というものの本質を見失いつつある。そもそもあらゆる公共機関は、営利企業を模範として「仕分け」られている。「世界で一番でなければいけないか、二番では駄目なのか」などという噴飯ものの発言は、学問とはどういうものかを理解しない現代日本政治の貧困を端的に示している。
時代の潮流は、穏やかな地方公立大学だった本学にも押し寄せてきた。幸い我々は、まだ残っている本学の旧公式サイトで、1986年から2008年までの『愛知県立大学報』を見ることができる。そこからは、過去二十年の本学の変貌ぶりが如実に見てとれる。かつての『学報』には、教員の留学体験記、同窓会の活動報告、公開講座の紹介、新築校舎の説明、校史の回顧など、大学の生きた姿を紹介する記事が溢れ、個々人の教職員や学生の顔が現れていた。しかし2008年ころの『学報』を見ると、様子は一変している。大学管理職の挨拶が延々と続き、組織の自己宣伝や事務連絡に終始していて、まるで官報のようである。要するに愛知県立大学は、日々「官僚制化」(Bürokratisierung)し、個々の教職員を組織の歯車へと変えつつあると言えるだろう。こうした大学の「官僚制化」によって被害を蒙るのは、ひとり大学の教職員だけではない。大学が生気のない単なる語学学校、職業訓練校、就職予備校になり果てれば、学生や地域住民も知的枯渇に苦しむことになる。そうすれば、延いては本学の存在意義や、愛知県の文化大県としての自覚が問われることになるだろう。
2010年度の愛知県立大学教職員組合は、「官僚制化」の波から研究・教育の場を守り、全構成員による大学づくりを発展させていくことを目標とする。そのためには、個々の「官僚制化」を批判的に検討し、その都度意見表明していくことが必要となるだろう。また教職員同士の交流と意思疎通をより一層緊密なものにすることで、「大学人の共和国」の内実を整える。教職員組合が同僚同士の集う場として充実すれば、それは本学における教職員組合の存在感を高め、団体交渉時の交渉力の向上や、組合員の増加にも繋がるであろう。更に長期的には、本学看護学部や愛知県立芸術大学の教職員との協力も考慮する必要があると思われる。