2010年度学長交渉
12/1に学長交渉を行いました。続きに交渉項目を掲載します。
① 県大業務の「事業仕分け」:スクラップ・アンド・ビルドの発想へ
「良質の研究にもとづく良質の教育」は、応分の時間が確保されてはじめて達成できる。相次ぐ人員削減で勤務環境が厳しくなる一方、研究・教育を促進するための配慮は十分になされていない。本学の教職員数は、法人化された2007年に教員(県大+看護大)は211人、職員は正規職員が51人(うち法人職員1人)、非正規(契約)職員が36人であったのが、2010年には、教員(看護学部を含む)は204人、職員は正規職員が55人(うち法人職員15人)、非正規(契約)職員が50人となっている。(この間、職員は4人増えているようにみえるが、これは法人化初年度には県庁でも法人業務が担当されていたものが、2年目からは県大の法人本部事務局に移されたことによる。)業務全般を再検討し、業務の無駄を指摘して大学の知的強化を図る必要がある。
そこで必要となるのが、本学業務の「事業仕分け」である。法人化前後より本学では様々な企画が開始され、大学の活性化が図られた。それらの果した積極的な意義は決して否定しないが、次々と新しい企画が誕生した結果、費用対効果の観点で、あるいは大学の本旨に照らして、再考するべきものも出ているように思われる。また相次ぐ負担増で、特定の教員、事務職員の負担が激増する事例が見受けられる。資金も時間も有限であることを考えれば、新しい企画を一つ開始するときには、無理にでも従来の企画を一つ廃止するように努めないと、平常業務に集中できない、体調を崩すという事態になりかねない。
具体例1: 県大再編にまつわる祝祭「ファンファーレ」は、再編が一段落した平成22年度も引き続き開催されているが、これは今後もそのまま継続されるべきであろうか。とりわけ鳥越俊太郎講演会(平成20年度)、姜尚中講演会(平成21年度)といったタレント企画は、当初は大学に相応しい内容を期待して立案したものだが、実際には予想と異なる内容になってしまった面があるように思われる。一般人の集客力が強くても、大学本来の使命とは必ずしも一致しない、高額の費用と膨大な手間のかかる企画は、再検討する必要があるだろう。
具体例2: 本学には「自己点検・自己評価」に加えて「目標設定」なるものがあり、今度更に学部『年報』を刊行することになっているが、内容的に重複するものを複数回執筆、刊行する必要は本当にあるのだろうか。「自己点検・自己評価」が二年度分をまとめた内容になっていることを考えれば、東京大学法学部『研究・教育年報』などの例に倣い、二年に一度詳細な『年報』を刊行し、毎年の「目標設定」、「自己点検・自己評価」は廃止するのが適当だろうと思われる。更に「自己点検・自己評価」は、例年卒論指導が佳境を迎える12月に締切となり、教育業務の実情を無視した期限設定となっているため、早急に改善が必要である。
具体例3: 科学研究費補助金の申請奨励のために、平成22年度には7月、9月の二回、別種の説明会が開かれたが、これは一回にまとめて開催できないだろうか。他の業務への影響を考えれば、同種の企画は一回にまとめ、時間も短く済ませる必要があるだろう。また科研費受給中の教員は、新規申請はしないので、この種の企画に参加する必要性はないと思われる。
なお本学に限らず、間接経費獲得のため各大学が教員に科研費申請を義務化する傾向がある。この結果、研究上の必要性や研究の進行状況に関わらず、教員が一律に申請を余儀なくされ、(ときには通過の見込みが乏しい)申請書を書くために膨大な時間を費やしている(その不毛さは、先日の益川博士の講演でも話題となった)。基幹的大学には、構成員の共通了解のないまま大規模な競争的資金を獲得してしまい、その消化に苦慮して無意味な企画を連発し、低い評価を受けているところがある。科研費は、本来必要な研究者個人が必要なだけ必要なときに獲得すればよいものであり、危機的な国家財政に鑑みれば尚のことそうであるはずである。文系研究の場合、科研費獲得が研究上常に不可欠とは言えない場合も多く、本学のように使用に際しての自由度が低い大学では、科研費取得がプラスとばかりも言い切れない。にも拘らず大学が教員に科研費申請を義務化するというのは、本来望ましい状況ではないと思われる。更に当該研究の支援に支出されるべき間接経費が、ここ数年で大学の裁量で使用されるようになっている本学の実情も、議論の余地があると思われる。現在の科研費を巡る国内の潮流にただ身を任せるだけではなく、逆に発生した諸問題を大学の研究現場から文部科学省に指摘するということが必要になるだろう。
② 魅力ある職場環境の構築:個人の能力を伸ばす大学へ
全国公募による採用人事のため、本学には研究意欲の旺盛な研究者が次々と採用されている。近年本学には名古屋大学(平成20年3月転出)、中央大学(平成21年9月転出)、東京大学(平成22年9月転出)、関西学院大学(平成23年3月転出)などから割愛状が届くなど、本学が研究能力において基幹的大学と同等の人材を備えており、しかもそういった優れた人材が次々と流出しているということを示している。また事務職員も優秀な人材が採用されており、日々の大学業務に顕著な功績を残しているが、勤務条件が余りに厳しいため任期半ばで辞任する例も散見される。本学は、その抱える人的財産に関する認識が十分でなく、最高水準の研究者、事務職員が就職したいと思う魅力的な職場作りの工夫が見られない。大学の活発さはそこで働く個々人の活発さに由来するということを再認識する必要がある。
具体例1: 各種評価制度など、個々人を叱咤する制度は着々と出来ていくのに、個々人の労に報いる制度が一向に出来ないのは不思議である。以前は学長からも提案のあった学術賞受賞者への報奨は、現在のところ制度化を見ていない。授業評価は為されているが、学生から抜群の評価を得た教員を大学からの待遇に変化はない。同じことは、八面六臂の活躍をしている事務職員に関しても言える。個々人の評価は、加点方式であれば組織を活性化させるが、現在のような減点方式一辺倒では個々人の萎縮を招くことにはならないだろうか。
具体例2: 平成22年度、本学では大学院国際文化研究科博士課程院生の主指導教員を選抜する条件を定めたが、その際「論文博士」という条件を加えたのは、疑問の残る措置である。「論文博士」を「課程博士」より格上と見たのは過去の習慣で、結局のところ研究歴15、20年の中堅研究者が出す論文には、研究歴5年の博士課程院生とは一味違う深みを求められたというだけのことである。それに過去においても、「論文博士」が本当に「課程博士」より常に上だったと言えるかどうかは疑問である。またこの条件で審査されるべき、主として中堅、若手の教員は、「課程博士」号取得が可能な状況下で、それを就職前の当然の目標として努力した世代が多くなっている。そうした時代においては、順調な院生ほど早期に「課程博士」号を取り、研究が難航した院生が止むを得ず「延長戦」に突入して「論文博士」を目指すという場合もあり、「論文博士」、「課程論文」の優劣を一般的に決め付けることは全く出来ない。そもそも基幹的大学で、博士号の(ときには修士号すら)ない教員が博士論文の指導、審査に当っている現実があるのに、若手の「課程博士」が研究指導に不適格と文部科学省が判断する可能性など有り得ないだろう。また一旦「課程博士」を取得すると、それは「論文博士」に「格上げ」されることは一生ないので、若いときに必死に努力した結果が、本学では一転して「一生の負い目」になってしまう。更に海外で取得した博士号は常に「課程博士」であるから、この制度は海外学位を敬遠することにも繫がる。自らも大学院で「課程博士」を生産していながら、いまになってわざわざ「論文博士」の特権を明確化する大学が、公募求人を探す若手にとって魅力的な応募先に見えるであろうか。
しかも法人本部は平成22年度、本組合の異議申立にも拘らず、大学院手当を主指導教員か否かで上下させる制度を採用した。若手が博士課程院生の主指導教員になれず、にも拘らず専攻分野の関係で実質的な研究指導は行い、手当は年配の形式的な主指導教員が受け取るという不可思議な事態が、現に起きうるのである。
具体例3: 本学に研究休暇(サバティカル)の制度がないのは、本学の研究支援体制の脆弱さを示す端的な例であり、公募審査を勝ち抜いた新規採用教員の間では驚きと不満が広まっている。現状では、育児休業に加えて在外研究が認められているに留まり、しかも非常勤対応は明文では保障されていない。教員には研究休暇を、事務職員にはリフレッシュ休暇を、10年に1度程度設けることはできないだろうか。
③ 大学及び教職員の評価制度の再検討
教員が自分の研究・教育を振り返ることには意味があるが、自立した研究者である教員を組織の歯車のように扱う制度は適切ではない。評価は飽くまで、教員が自分で自分のために行うものであり、その意味で細々と目標・計画を立てさせたり、各評価分野の総括を決まり文句で終えさせたり、根拠となる組織の「条項」(!)を挙げさせたりする「目標設定」は目的不合理と思われる。
なお2010年度8月より、事務職員の「役割達成度評価」の試行が始まったが、これも類似した問題を孕んでいる。事務職員を評価で拘束することは、ややもすると個々人を委縮させ、組織の停滞を招く恐れがある。また評価によって、事務職員が仕事へと駆り立てられ、健康被害を引き起こす恐れがある。勤務評定と並行した「役割達成度評価」というのも、屋上屋を重ねる観が否めない。また「がんばった」「チャレンジ」「ジャンプ」など、「親しみやすさの追及」と称して、法人が事務職員を子供のように扱っている現制度の言葉遣いも問題がある。事務職員の間からは、「評価する管理職側(県職員)の業務内容への知識が、通常の会社と比較して本質的に不足しており、評価は順調に進まないのではないか」という強い疑問が寄せられている。法人側はこれまでの議論ですでに、「管理職には人員管理の能力がある人物が配置されているはず」、「勤務評価の作成法について、全てAをつけてもいいのか、あるいは謙虚に書くべきなのか、しかし頑張っているのに、低い評価を書くのも悔しいし、どう書けばいいのかわからない」、「県庁でも評判が良くない評価制度を試験の試験という感じで導入することが解せない」、「勤務評定を二度やっている感じで負担が大きい」、「まず各課のレベルをあげていくということをいわれるなら分かるが、いきなり個人のパフォーマンスが問題にされるのはどうか」、「評価を慮って残業の伺いがしにくい環境にしないで欲しい」、「契約の人は安い賃金なのに、評価制度だけは同じなのは納得いかない」、「法人本部の意識が大学の現場の意識と乖離している」、「法人本部は大学のサポート機関ではなく、監視機関になっている」、「法人本部職員に、大学の現場を見てもらう機会を与えるべきではないか」というような声が挙げられている。本組合としては最低限、給与への拙速な反映を行わないこと、試行実施後の評価は職員を交えて行い、安易にそのまま本格実施しないこと、残業手当の多少によって評価しないこと、を求める。
④ 給与および期末勤勉手当の正当な保障
長引く不況の影響で公務員の給与も一律に抑えられるなか、公立大学である本学でも教職員の給与が抑えられ、期末勤勉手当の削減(0.2%凍結)や地域調整手当ての削減など諸手当などの削減により実質的には年を追うごとに減給となる場合も出ている。教職員の生活基盤である給与及び諸手当の不当な削減には問題であり、待遇の適正化を求める。
教職員の期末勤勉手当(ボーナス)のうち、勤勉手当にたいする格差支給にも反対する。また、法人化4年目の今年度は、本組合の取り組みもあって、先述のように法人職員は1人から15人に増やすことができた。法人職員と県からの派遣職員(現在40人)との間に昇任、昇格における格差があってはならず、法人職員の専門的職務遂行実績等を適正に評価した昇任昇格制度の整備を求める。さらにまた、非正規職員(契約職員、現在50人)の正規職員への登用制度を整備するとともに、その待遇の改善を求める。
なお給与と関連する問題として、本学の教授枠が52%に抑えられている問題、外国人語学教師の採用が不自然に制限されている問題があり、改善が必要である。
事務職員に対する給付の不公平もいま話題となっている。事務職員のセンター試験手当は、教員とは異なり支給されていない(但し事務職員でも、学長には支給されている)。教員や学長と同じように二日間動員され、にも拘らず事務職員には支給がないとなると、これは士気に関わる問題である。またプロパー職員と日々同じ様な仕事に従事している契約職員が、プロパー職員とは違って期末勤勉手当がないということが、いま強い不満を呼び起こしている。これらの点で改善が必要であるように思われる。
⑤ 専門性の高い大学事務体制の確立
2009年度からの新愛知県立大学の発足に伴う新体制への移行を目前にしながら、大学の実態に全く配慮しない2008年度末の県の人事異動命令は、大学事務体制に多大な混乱と勤務環境の劣悪化をもたらした。2010年度は新大学二年目ということで、2009年度よりは混乱も少なく推移しているが、それでも時間外勤務が常態化し、しかも全ての時間外勤務が手当の対象として把握されているわけではなく、超勤手当支給や割増賃金、さらには勤務時間の振替措置が適正に措置されているとは言い難い。例えば学務課は、以前から多数の学生への対応、附属する研究所への対応で超過勤務が常態化する部局として有名だが、状況は一向に改善していない。最近では数箇月に亙って、平日深夜までの勤務に加えて土日出勤を余儀なくされ、超過勤務も月45時間以内という制限を大幅に越えるという状況が見られる。大学の長久手キャンパス(事業場)における三六協定(労働基準法第36条に定める時間外及び休日の労働に関する規定に基づく協定で、長久手キャンパスでは本組合委員長が労働者の過半数代表者として今年度も4月1日に署名締結している)では、労働時間の延長(残業)を、「1日5時間以内、一ヵ月45時間以内、1年間360時間以内」と定めている。また「特別な事情が生じた場合」については、一定の手続きを経て労働時間を延長(1日6時間、一ヵ月50時間、ただし1日5時間を越える回数は一ヵ月に6回まで)することができる例外規定を設けている。法人がこれを遵守することを強く求めるとともに、学務部などの異常な勤務状況を改善するために増員するなど、ゆとりをもって研究・教育を支援できるよう、人事(配置)計画の大幅な改善を要求する。
また、本組合としては、こうした事態に適切に対応しうる教務、入試、就職、研究などの各専門領域における愛知県立大学独自の専門事務体制の確立を目指し、そのための十分な人材確保と予算措置を講じるよう要求する。また、本人の希望も考慮しながら、一つの職場に2、3年は留まり、技術や経験が蓄積されていくような人事政策を要求する。
更に、大学事務体制の専門職化には、大学の組織特性に精通した有能な部・課長職員の採用が不可欠である。本学の長久手キャンパスの場合、管理部(庶務課、経理課、入試・広報課)、学務部(学務課、学生支援・国際連携課)、学術情報課(図書情報課、研究支援・地域連携課)の3部8課でされている。このうち、学務部長を除いて、部課長職はすべて県からの派遣職員によって占められている。法人化4年目をむかえた今日、法人職員の中から、あるいは公募による法人職員を部課長に大胆に抜擢していくことを求める。この点では、隣の国立大学法人愛知教育大学では、かつては15人ぐらいいた文科省のキャリア組を5人にまで減らし、12の課長職をすべて、公募を含めて法人雇職員にし、今年4月には初めて女性課長も生まれている。また、大阪市立大学では、部課長を基本的に法人職員が占め、その部下に大阪市からの若い派遣職員をあてるというデザインで改革をすすめており、検討に値しよう。
⑥ 非常勤講師の待遇改善
「合理化」を理由に大幅見直し・縮小を迫られている非常勤講師枠の下で、本学の非常勤手当は他大学に比しても格段に低い(経験年数に応じて1コマあたり8640円~9850円、ちなみに首都大学東京は10800円(教授)、名大は12000円(教授)、愛知淑徳大学は14800円(教授))。また本学の非常勤講師控室には専門の担当事務職員がおらず、非常勤講師用ロッカーが少なく、非常勤講師を慰労する制度もないなど、その待遇は他の大学と比較して見劣りがするである。「良質の教育」を実現するための逸材を確保せよというのであれば、非常勤講師の待遇が改善されるべきである。とりあえず緊急にロッカーを30区画ほど設ける必要があると思われる。更に大学主催の非常勤講師慰労会を開催することが望ましい。
⑦ 教育環境の整備
「良質の研究にもとづく良質の教育」は、応分の環境が確保されてはじめて達成できる。学生から特に苦情が相次いでいるのは冷暖房に関してで、6月中旬下旬、10月上旬の冷房、11月、3月の暖房は、もう少し柔軟に導入してもよいのではないだろうか。加えて教室の音響機器が老朽化し、授業でも支障が出ている。至急改善を求めたい。
⑧ 前歴換算基準の明確化と改善
法人化後も現状維持とされた他大学・民間からの採用、外国人の採用に際しておこなわれている不公正・不平等な前歴換算基準の公開と改善を求める。とりわけ法人化以後の採用者については、前任校・機関と同等の身分保障が確保されなければならない。「より良い大学づくり」のための優秀な人材を確保しようとするのであれば、法人が真摯に取り組むべき課題である。
⑨ 困窮学生への経済的支援の拡充
「100年に1度の危機」がいわれるなか、困窮学生を対象とする「学費減免措置」の堅持と拡充を求める。この「学費減免措置」は、成績ではなく経済状況を基準にしないと、困窮学生の支援として意味をなさない。また可能な限り経済的状態とは関係なく、意欲のある学生に学ぶ機会を与えるという見地から、愛知県立大学の比較的低額な授業料は今後もその堅持を要求する。奨学金制度を拡充するとともに、貸与奨学金制度から給付奨学金制度への抜本的改善を求める。
⑩ 学生の利便を考えた制度改善・適切な非常勤講師の配置
大学再編に伴い夜間主が廃止された結果、学生が受講できる授業も削減され、不満が出始めている。他にも、教材費の減額、図書館蔵書の脆弱さ、留学生対策専門事務局の欠如、学部夜間主廃止後も大学院夜間で必要になる事務体制・図書館開館の維持など、問題点は山積している。学生の利便を考えた制度の改善を要求する。
ちなみに、教員数が削減されるなかで、多くの教員は大学院授業の夜間開講や修士論文指導、博士論文指導などで、全体として授業負担が過重になってきている。教員免許状などの取得にかかわる授業など、必要に応じて非常勤を配置できる予算の確保を求める。
⑪ 十分な情報共有と事務系統の統一性
大部分が県派遣職員から構成される法人本部と、法人(常勤・契約)職員の割合が高い大学側との間には、しばしば情報共有に関する齟齬が見られる。加えて旧年度で可能であった事務手続が、人事異動後の配置換えによって新担当者となった途端に「前例なし」として処理されることも少なくない。これは研究・教育に遅延をもたらす不合理な事務体制の実態である。事務職員全員が「より良い大学づくり」の主体であることを改めて想起し、情報の公開と共有を強く求める。
⑫ 研究・教育のための資金の確保
「良質の研究にもとづく良質の教育」は、応分の資金が確保されてはじめて達成できる。愛知県立大学法人の予算は、教職員給与を含む運営費交付金が毎年1%を削減されるなか、この間に55億円(2007年)から51億円(2010年)に減らされている。この結果、愛知県立大学(看護大・学部を含む)の基盤教員研究費は1億3920万円(2007年)から1億3800万円(2010年)と低水準で推移している。また近年では、個々の教員研究費を削減して競争的資金を増大させる傾向にあるが、応募を強要される科研費と並んで、様々な競争的資金が学内に乱立し、見通しが利かない有様となっている。競争的資金としては科研費があるのだから、法人内の競争的資金は整理統合して、個人の教員研究費の充実を図るべきであると思われる。
以上